「コロナ・終末・分岐点」浅川嘉富・岡靖洋著を読んで

地球のこと

岡さんの人生観に心から納得する瞬間

In Deep地球の記録 というサイトを運営されていて有名な岡靖洋さんは、世界中の論文・データを読み、分析して記事を書かれており、私の尊敬する人の中の一人です。

この本の中には数々の驚くべき内容が書かれていますが、私の心に一番残ったのは、岡さんのこの言葉です。

”コロナでもそうですけど、命を大事にという大前提がありすぎて、そのために全てを犠牲にしていいようになっているんですけど、それはおかしいんじゃないかと。

僕は、命を張っておさえている人を見てもわかるように、命が一番大事と思ったことはないんだけど、今、新型コロナでそれが一番になっちゃって、死ななきゃいいということになっている。

そうじゃなくて、例えば楽しく生きたり、幸せに暮らしたりということが全くおざなりになっちゃっている。

ぶっちゃけて言ったら、これは重い病気で、みんな別に死んでもいいんじゃないかと思うわけです。

みんながこんな不幸な感じで生きていて、命をどうのこうのというのはおかしいと思っちゃうんですよ。”

生命とは、生きるとは、健康とは、自由とは何か。

私にとって、これが人工ウイルスだろうが、重い病気であろうが風邪程度であろうが、関係ないわけです。まあ、致死率50%の狂犬病とかならもう少し焦りますが。

人はいつか死ぬのは自然の摂理で、大事なのは、せっかく生まれたこの美しい地球の上で、自然に寄り添い、恩恵をありがたく受け、人間らしく生きたい。

そこに強制・排除・隔離・差別・薬・延命治療・ワクチン・自由の剥奪は必要ありませんし、それらがパンデミックを収束させることに何一つ貢献していないということです。

自然界にウイルス・菌・病気は存在し、日本人はそれらと共存することによって免疫力・抵抗力を得ているわけです。

今世界でコロナ脳と非コロナ脳が分断していますが、他者に対して攻撃的、もしくは、ウイルスの存在(新型コロナウイルスにのみ)を非常に怖がるコロナ脳の人々をよく見ていると、健康に悪い物を食べ、健康に悪い生活習慣を改善することもなく、健康とは何かを自分の頭で考えることもせず、健康とは逆行することを選択しているように見受けられます。

マスクを外し酸素をたっぷり吸う、大好きな仲間や家族と会いたくさん話をして笑う、西洋医薬を飲まない、病院に行かない、太陽を浴びる、外に出掛ける、気分転換をする、ワクチンという名の物を一切受けない、菌と共存する、アルコール除菌や過度な手洗いはしない、症状がないときはうがいもしない。私はこんな感じで人間らしく生きています。

世界で未公開のナスカの地上絵

浅川さんの記載文に、ナスカの地上絵が掲載されていますが、それは目を見張るものでした。それは、世界に全く公表されてない地上絵で、巨大な滑走路の模様が彫られたものでした。

日本の学者が研究にペルーに行っているが、それはナスカ人が2000年前に描いたもので、滑走路の地上絵は、ナスカ文明よりはるかに太古の超古代文明がつくったものだということです。

また、浅川さんが現地のパイロットに特別に連れて行かれた所から、ティラノサウルスとブラキオサウルスの写真を撮影されています。

公表されているものと、公表されてないものは、時代も起源も別物ということですね。

それがなぜ公表されていないのか、ということを想像すると、想像が膨らみ、ワクワクします。

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